新年に行く初詣、お宮参りや七五三などのお祝いの行事、近年人気のパワースポット巡りなど、
神社に行く機会は意外とありますが、神社をおまいりするときにしてはいけないことがあることをご存じでしょうか?
神社にお参りするときの作法には厳格な決まりはなく、神社や地域によっても特色があります。
マナーや作法などの形式ばかりを気にしておまいりに集中できないとなると、本末転倒ですね。
心を込めておまいりすることが何よりも大事です。
神社でのタブーは、参拝マナーに比べるとあまり知られておらず、知らない内にしてしまっていた!という声をよく聞きますが、
一度覚えてしまえば、お祝いの行事ごとでの参拝、観光、ご朱印巡りなどあらゆる場面で使えます。
そこでこの記事では、神社でしてはいけないタブーと、意外と身近な存在、神社の秘密について紹介します。
目次
神社でのタブーについて
気枯れ(けがれ)の状態で行く
神社とは、穢れ(けがれ)を忌み(いみ)嫌う場所です。
昔は、身内が亡くなった場合や、体力を消耗している出産直後、生理中などは穢れの状態のひとつであるため、神社に参拝してはいけないとされてきました。
穢れは「気枯れ」(けがれ)とも言い、気が枯れている=弱っていると考えられていたためです。
両親や愛しい人などを失い、気持ちが沈んで精神力が衰えている状態を「気枯れ」と言い表し、
その状態から立ち直るために精神や体を休養させられるよう、身内が亡くなった後の一定期間を「穢れの期間」として定めていたのです。
生理や出産もこれと同じくいたわりの気持ちから、無理して参拝をしなくていいように参拝を控える期間を設定したと考えられています。
よく男尊女卑の意味として勘違いされがちですが、「穢れ」と「気枯れ」は漢字を見てもずいぶんと印象が違いますね。
穢れにあたる期間に神社に行ってはいけないということはなく、参拝する本人の体に負担がなければ問題ないようです。
お辞儀をせずに鳥居をくぐる
鳥居は、神様と人間の世界とを区別する結界のようなもので、鳥居より先は神様の領域となり、神聖な場所を意味します。
鳥居をくぐる前に、お邪魔しますという気持ちをこめて一礼をし、参拝を終えて退出するときも、鳥居を出た後に向き直って一礼をしましょう。
参道の真ん中を歩く
参道の真ん中は「正中(せいちゅう)」と呼ばれ、神様の通る道とされていますので、真ん中は避けて左右どちらかに寄って歩きます。
やむを得ず横切る時は軽く一礼をしたり、中央で向き直って一礼をしたりして、失礼にならないようにしましょう。
お賽銭を投げ入れる
お賽銭を、賽銭箱に遠くから投げ入れる方をよく見かけますが、神様に失礼にあたります。
優しくそっと入れるように心がけましょう。
アニマル柄のアイテムを身に付ける
神社は不浄を嫌うため、動物の殺生を連想させるヒョウ柄などのアニマル柄やレザーバッグ、毛皮は避けましょう。
例えフェイクであっても、アニマル柄のアイテムは身に付けない方が無難です。
正装をする必要はありませんが、派手な服装や露出は避け、神様に対して失礼のない服装をするのがベストです。
また、帽子やサングラスなどを付けている場合、神社に入る時にははずすようにしましょう。
犬を連れて行く
ご家族の一員である愛犬を連れておまいりに行きたいと考える飼い主さんも多いと思いますが、
昔は、動物は穢れの対象とされており、連れて入ると、神社という神聖な場所を穢すことになると考えられていました。
そのため、今でもこの日本古来の風習や考え方を引き継ぎ、動物が境内に入ることは禁止としている神社が多いです。
特に、キツネが祀(まつ)られてる稲荷神社は、お稲荷さんを怒らせないよう、相性の悪い犬は連れて行ってはいけないというのが通説です。
最近では、ペットを飼う人が増えたことを背景に、犬連れを許可してくれる神社もちらほら見かけるようになってきました。
中にはペットを歓迎して、ペット用のお守りや絵馬などを用意し、ペットの祈祷をしてくれるところもあるようです。
犬を連れて行きたい場合は、事前に神社のホームページを確認するか、問い合わせをし、マナーを守って利用しましょう。
生ものを持ち込まない
神社では殺生(せっしょう)がご法度なので、肉や魚などの生物(なまもの)を持ち込むことは、失礼にあたります。
お買い物の帰りに立ち寄りたい時などは、注意が必要です。
短時間でさっと済ませる
参拝の際、神域にとどまりその土地の食べ物やお水を飲食することで、さらに神様の御利益を得ることが出来ると言われています。
せわしなく参拝だけして帰るのではなく、2時間くらいを目安にのんびりと散策するのが良いでしょう。
神社を参拝するときのタブーを紹介しました。
お相手は神様ですので、これらを守らないと罰があたるということはないですが、最低限のマナーは守ってお参りしましょう。
手水について
神社の参道脇や、拝殿の手前、または鳥居近くなどに置かれている手水舎(てみずや・ちょうずや)ですが、何のためにあるかご存じですか?
手水舎は、水で手と口を洗うことにより禊(みそぎ)をして、心身を清める場として設置されています。
普段の生活で心身についたけがれを手水舎で洗い清めてから、本殿でおまいりをしましょう。
手水の始まりとは?
手水舎が最初にできたのは江戸時代初期の日光東照宮だと言われています。
それまでは、神社やお寺におまいりする前には禊(みそぎ)として神社周辺の川や滝などの水に浸かり身体の汚れを落とし、洗い清めていました。
ところが、時代が変化するにつれて水が汚染されたことや、季節により水量が不安定になるなどの理由で、
全身を水に浸していたみそぎ場の代用として儀式を簡略化するために、手と口をすすぐだけの手水舎が併設されるようになったようです。
現在も流れる川で身を清めることができるのが、三重県の伊勢神宮です。
伊勢神宮は参道に手水舎を設置していますが、伊勢神宮内宮にある五十鈴川に御手洗場(みたらしば)があり、川辺まで行って清めることができます。
この五十鈴川は人気のスポットとなっており、現在はここで手だけを清める方が多いです。
タイムスリップをした気分で昔の人に思いを馳せ、川の水の冷たさを味わってみましょう。
神社に手水舎がない場合どうする?
大きな神社にはたいてい手洗い場がありますが、小さい神社では手水舎がなかったり、手水舎に水がなかったりすることがあります。
事前に手水舎が使えないことが分かっている場合は、ペットボトルや水筒などで水を持参し、手水舎で清めるのと同じ手順で手水を行います。
この時、飲みかけの水は使わず、新しく準備した水を使うようにしましょう。
水ではなく、おしぼりやウエットティッシュで手を拭くだけでもいいようです。
手水舎が汚い!どうしたらいい?
落ち葉がたまっていたり、管理が行き届かず水盤の水が汚かったりという場合もあります。
手水舎は手や口を清めることが目的ですが、水が汚れていては清めることができませんので、無理に手や口を洗わなくても問題ありません。
コロナ渦の現在、手水はできる?
最近では、コロナウイルス感染防止対策のため、柄杓の撤去や、手水そのものの使用を控えるところが多くなってきているようです。
それぞれの神社の案内に従って利用するようにしましょう。
近年、全国の寺社では手水舎や手水鉢を花で飾る「花手水(はなちょうず)」が広がっています。
花手水はコロナ渦によって新しく始まった取り組みではなく、京都の柳谷観音 立願山楊谷寺で元々行われていました。
柳谷観音は、眼の観音様として平安時代から眼病に悩む人たちに信仰されています。
楊谷寺はあじさいや紅葉の名所でもあり、数年前から手水鉢などに定期的に花や紅葉を添えるようになりました。
花手水という用語は、元々は野外の神事で水がないときに手水のかわりに葉や花で手をこすって清めることを指していましたが、
楊谷寺で花を浮かべた手水鉢を指すようになってから、その美しさがSNSなどで話題になって全国へと広まり、
今では花手水というと、色とりどりの花を浮かべた手水鉢を指すことが定着しました。
SNS映えする写真が撮れるとあって、若い方々を中心に人気で話題となっています。
お手水のかわりに、この花手水を楽しむのもいいですね。
神社の参道が砂利道なのはなぜ?
神社の道は、どこへ行っても砂利が敷かれていることが多いですよね。
お寺などはアスファルトで整備されているところもありますが、なぜ神社では砂利道のままなのでしょうか?
特に女性は、ヒールの場合、歩くことが大変ですので「歩きにくいから舗装して欲しい」という方も
多くいらっしゃるのではないかと思いますが、神社の参道が砂利道なのには理由があります。
諸説ありますので、その内のいくつかを紹介しましょう。
玉砂利の言葉の意味から
神社に敷かれている砂利は、玉砂利と呼ばれる丸い小石です。
玉砂利の「玉」は、たましい(魂)、たま(霊)、みたま(御霊)を意味しており、「美しいもの」や「大切なもの」という意味も併せ持っています。
また、「砂利」は当て字で、本来「じゃり」は細かい石という意味の「さざれ(細石)」からきています。
君が代に出てくるさざれ石と言えば、聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょう。
そうした言葉や意味を踏まえて、神聖なる場所の神社では、今でも玉砂利が敷き詰められていると言われています。
清浄を保つため
日本では古くから、神聖なところをさらに清浄にするためにきれいな石を敷き詰めるという風習がありました。
そのため、神社の清浄を保つように今でも玉砂利が敷かれていると言われています。
玉砂利は、境内の清らかさを保つための道具として使われており、「明浄正直」を理想とする、神道の心を象徴するもののひとつとも考えられます。
昔の人々は、石に強いパワーを感じてきたのですね。
よこしまな気持ちを寄せつけないため
神聖な参道には、清浄な白っぽい石が敷き詰めてあります。
玉のような粒ぞろいの砂利の参道を歩くと、小さい石がじゃりじゃりと鳴ります。
この音が、道理から外れたよこしまな気持ちを寄せ付けないとされています。
足元が汚れないようにするため
昔は、参拝者のほとんどが着物でした。
参道を砂利道にすることで水はけを良くし、雨が降ったときに土がはねて足元が汚れないようにしたのですね。
神社の祭事は外で行うものも多いので、その際のことを考えて、水はけの良い玉砂利が使われ続けているのかも知れません。
他にも、雑草が生えてくるのを防ぎ、草刈りが不要になるという非常に実用的な理由も挙げられます。
普段当たり前のように歩いている参道の砂利道ですが、意味が分かるとより面白くなりますね。
足元の小石ひとつにも意味がある日本の文化。
昔から変わらずに使われ続けている玉砂利に歴史を感じながら、歩いてみるのもいいかも知れません。
神社の帰りはいぬづか写真室へ
神社へ立ち寄られる理由は、願掛けやお祝い事のおまいりなど人によって様々でしょう。
そんな人生の節目や、何でもない日、思い立ったその日の記念に、写真を残してみませんか?
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今の一瞬を永遠に。
フォトジェニックな写真を残しましょう。
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